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コルビジェ建築視察 その4  

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4日目、昨晩の間にロンシャン→ベルフォート駅からTGV特急列車に乗り、パリ・リヨン駅へ。その後駅前からバスに乗り、市内のホテルへ着きました。朝食をホテルで取り、その後、バスでパリ近郊の町、Poissy(ポワシー)のサヴォワ邸(1931年竣工)を訪れました。
 サヴォワ邸は1級建築士の計画の試験問題にも時々出てくるほど有名な住宅で※近代建築の5原則で成り立っていることで有名です。
 コルビジェ当時40歳の頃、すでに国際的に有名になりつつありましたが、パリの都心に住む裕福な実業家家族であるピエール・サヴォワ夫妻から依頼を受けます。ちょっと年下の若くて元気がいい建築家に、新しい時代の住宅を作ってもらおうという感覚だったのではないかと思います。コルビジェを設計者として選んだいきさつについては、ザヴォワ夫人の果たした役割が大きかったようです。1929年にコルビジェが設計したチャーチ邸という住宅をまだ工事中でしたが、訪れて参考にしたと言われています。そして、彼らのための別荘(週末を過ごすための住宅)の設計の適任者となっていくのです。施主でもあるサヴォワ氏はイギリスの※ロイズ保険会社の傘下に入っていた保険会社の経営者でした。家族は3人で息子が1人、奥さんと夫という家族構成。伝統に固執する保守派が多い時代にあって、ピエール・サヴォワはどちらかと言えば、実践的なキャリアを持つ若手のコルビジェを選んだことは、非常に現代的な感覚を兼ね備えた顧客であったといえるかもしれません。チャーチ邸はアメリカ人の資産家ヘンリーとバーバラ夫妻でしたが、コルビジェの初期のクライアントたちは必ずしも生粋のフランス人ではなく、むしろフランスで暮らす外国人が多かったことも、実はコルビジェがスイス出身で、実力を持って他の設計者としのぎあっていることに共感を感じていたのでなないかと私は推測します。また、このサヴォワ邸は広大な敷地にあります。これまで彼が手掛けてきた住宅はパリ市内の狭い不整形な敷地といった困難な制約の中で設計をしていますが、この住宅はパリ郊外の森の中で、敷地に制約されないどのような形でも可能でした。つまり、初めて何をやってもいいという理想的な敷地が与えられたのです。コルビジェの事務所にとって経済的にも助かったでしょうし、理想的なクライアントであったと思います。そして、彼にとって大きなブレークスルーであったと言えると思います。話は尽きませんのでこのくらいにして、空間構成などについて感じた事を続けたいと思います。
 
 私達は敷地の正門から入り、木々が生い茂るアプローチを抜け、木々の間から建物を見つけることができました。広大な敷地にあるため、十分に建物との距離を取りながら建物の外部を見て回ることができました。
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北側立面
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南側立面
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西側立面
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東側立面
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それから、私たちはガラス(縦スリット)で覆われている玄関ホール(今は受付ロビー)から、各個室(寝室)・ユーティリティーを見てからスロープで2階のメインスペースへ足を運びました。
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中庭に沿って配置されているスロープの開口部から自然光が心地よく入ってきました。この日は残念ながらくもりでしたが、そんな日でも自然光だけで十分明るい設計となっていました。
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階段の配置もその自然光の入り具合を考慮して配置されているようでした。(中庭からもらせん階段が見えるのがわかります。)
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中庭に面した居間はバリアフリーになっていますが、当時としてはかなり無理がある納まりのようでした。というのもこの大きな1枚ガラスは実は吊り戸になっていて動くようになっていました。吊レールはさび付いていましたが、できた当初(1929年)はかなり斬新な設計だったと思います。
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他にも浴室に天窓があったり、シャープな開口部が設けられています。屋根のパラペット(立上り部)が美しさを求めた設計のため、施工レベルが当時では追い付かず、引き渡し後、雨漏りの原因となり依頼主から、苦情の連絡が度々あり、深刻な状況にまで進んでしまったエピソードも残されていました。戦中、ドイツの進行でサヴォワ家族はフランスから亡命したため、ドイツ軍に占拠されそのようなことに至らなかったようですが、ちょっと時代を先取りしすぎた設計だったと言えるかもしれません。
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 居間から中庭のテラスを眺める。
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屋外スロープから中庭を望む。
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浴室の自然光と浴室から見える木々の景色。今でも贅沢な浴室です。
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厨房は南西のコーナー部分で気持ちよく食事が作れそうな部屋でした。
 サヴォワ邸は戦後、ポワシー市に接収されますが、高校を建てるためにサヴォワ邸を壊すという話が出ます。それに至り、ギーディオンや当時の文化大臣アンドレ・マルローが保存運動をはじめ、そのおかげで保存がコルビジェの晩年に決まります。当時コルビジェは財団を設立する構想を既に持っていました。サヴォワ邸を本部にしたいと考えていたようでしたが、それは叶わず、次の日に訪れたラ・ロッシュ邸=ジャンヌレ邸に置かれ、現在に至ります。サヴォワ邸はコルビジェの死の直後に近代建築としては初めてフランスの文化財として認められ、今でもフランス文化庁の管理下にあります。
 とにかく、天気は優れませんでしたが、訪れた私達を十分もてなしてくれたサヴォワ邸でした・・・・つづく。

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2Fの寝室より車の出入口を望む

※近代建築の5原則
・自由な平面構成・水平連続窓・ピロティ―(柱で支えられた外部スペース)、屋上庭園、自由な立面、によりサヴォワ邸は明快に構成されている。以降の世界中の近代建築に影響を与えた。

※ロイズ保険会社
・Lloyd’s of London ロンドンのシティーにある世界最大規模の保険取引所。1688年頃エドワード・ロイドがコーヒー・ハウスを開き、そこに保険業者たちが集まったことに由来する。保険会社が再保険に入っている組合としても知られ、世界中の保険の総元締めのような役割を果たす巨大組織。1986年にリチャード・ロジャースが本社を設計。

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by atelierbau | 2016-01-11 21:04 | | Comments(0)

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